「怪しさ満点じゃないか」
学生時代から何かと一緒にいた九条一樹(クジョウ・カズキ)がグラスに残ったカクテルをパールオニオンでかき回しながら言った。
装甲板ホテルのロビーから出た俺は、まっすぐにぼろアパートへ帰ろうと思ったのだが、途中で心配してくれていたらしいカズキからメールが入ったのだ。
<不採用50社目のお祝いでもするか?>
これが他の奴から来たメールなら余計なお世話だ!と言いたいところだが、相当ギリギリのことを言い合える親友はカズキしかいないし別に腹も立たない。
腹を割って話せる者同士のジョークみたいなものだ。
ウチに来るか? と返信したのだが、
<ベッドしかない独身男の家なんか行けるか。酔って襲われたらシャレにならんから“いつものところ”で会おう>
と返ってきた。
たしかにベッドしかないようなものだ。
元々、寝に帰るだけのアパートだし、家財は全部押入れに入ってしまう量しか持ってない。
他にあるのはパソコンくらいのものだった。
だが、カズキは男に襲われかかったことがあるという本人の弁が信じられるくらいの美形だが、俺にはそっちの趣味はないぞ。
だいたい、酒を飲むのはあいつの方で俺は下戸だ。
ちなみに“いつものところ”というのは、都心から西へ一直線に伸びる路線駅の高架下にある喫茶店だ。
酒も出すのでカフェバーと言った方がいいかもしれない。
終電に乗りそこなった客のために朝の5時まで店を開いている。
学生時代にカクテルにハマったカズキが「ギブソンを出す店は少ない」とたまたま入ったここを気に入った。
マティーニに突き刺すものが代わっただけだろうと思うのだが、ギブソンはステア、マティニはシェーカーでマイルドさが違うと主張していた。
俺もこの店のダブルエスプレッソが気に入ったので、晴れて2人の“いつものところ”になったという経緯がある。
マスターもすっかり顔なじみで、数年前から何も言わないでもギブソンとエスプレッソを出してくれるようになっている。
「今日は2人でスーツかい? オーダーはいつものでいいね? しかし、まるでベンチャー企業の若社長と張り込み帰りのデカさんだな」
もちろん、前者はカズキだ。
商社マンらしく、ブランドスーツにピカピカに磨かれた革靴で、このクソ暑いのに涼しい顔をしている。
仕立てが良いと涼しいのか?
何をやるにもサマになるので、店内の女性客もチラチラこちらのテーブルを見ているほどだ。
俺はと言えば、とっくにスーツは脱いで、緩めたネクタイにワイシャツは腕まくり・・・なるほど、くたびれた刑事さんってとこか。
「タケには悪いが・・・経験でもネットサーフィンしててもそんな企業スタイルは聞いたことないよ」
一応、採用されたことを伝えると、乾杯しようと喜んでくれた親友だが、社内での出来事を話すにつれて表情がこわばっていった。
気持ちは分かる。
俺もあんな会社は見たことも聞いたこともない。
「試用期間が終わったらこっちから辞退する方が・・・」
「いいだろうね」
2度目の乾杯は「残念」と声を合わせることになった。
世の中うまくいかないもんだ。
(9)に続く
2010/09/11 初版
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