「悪いなカズキ、一緒に出しとくよ!」
俺はマスターに2人分の勘定を手早く頼んで店を出た。
一緒に途中まで行くとカズキは言ってくれたが、とてもじゃないがヘッドフォンから聞こえてくる細田の声で会話に集中できない。
それに店にはあいつのファンがいたからな。
仕事に疲れた女性陣なら、見て癒される対象がある方がよかろう。
あってもなくてもいいような数段の階段を降りて、駅へと繋がる歩道へ出た。
「ふ〜。完全な熱帯夜だな、こりゃ」
ヘタクソな演技で自分が店を出たことを告げる。
<オーケー、鷹城くん。もう分かってると思うけど、そのヘッドセットは聞くことも話す事も出来るんだ。骨伝導でね。君の頭蓋骨を伝う振動を感知してこちらに言葉が伝わる>
そう言えば、俺は店の中で、しかもかなり早い段階でデータパッドをしまっていた。
これは凄いと素直に思った。
ナリも言葉遣いも妙なところがあるが、細田は天才なんじゃないだろうか。
これを自作出来るってのはちょっと普通じゃない。
お?
通話先でガヤガヤしてる。
真夏の夜。
もうすぐ終電がなくなることもあってか、通りには人がほとんどいないので耳を澄ませた。
少し離れた環状線を通る車の往来が聞こえてくるが、それでも少しは通話先の内容を聞き取ることが出来た。
<鷹城くん出たの?>
<うい、出ましたよ。DPの感度は良好みたいで>
<まずはアシね>
<それが一番近くで、2キロ先なんです>
<ちょうどいいわ、体力テスト>
<この暑い中を!? 環状線に出たら排ガスだらけだし!>
<すぐにへばるようなら現場で苦労するのは彼なのよ>
<そりゃまあ・・・>
OK、OK。
2キロ先まで走れってことか。
アシとか現場とか分からないけどな。
試用期間だけはこなすって決めたんだ。
やったろうじゃないの。
伊達にドカチンやってきたんじゃないってトコを見せてやる。
<鷹城くん、えーとね・・・>
「ハアハア・・・もうすぐ環状線です。見えてる。ナビして下さい。どっち?」
<もう走ってるんか!?>
もちろん。
聞こえてきたのに、指示待ちだなんて子供みたいなことはしない。
「ハアハア、今走ってる道と環状線は、ふ〜〜〜、T字にぶつかります」
<やるわね・・・>
<よ、よし。右へ。高架下をくぐって>
「了解!」
<1キロ先の通り沿い右側、つまり君が走ってる側にトーキョー・レンタカーの支店がある。着いたら大山って人がいるから指示に従って>
「ハアハア、ブハー、OK」
<ずいぶん息が切れてるわね>
<無理もないです。さっきまで冷えた店内にいましたからね。しかも準備運動なし>
ついでに汗だくだけどな。
くそ〜。
まぶたまで汗かくな。
さっき水分摂ってるし、スーツのままシャワーでも浴びたみたいになってる。
<・・・鷹城くん、聞こえる?>
「ハアハア、聞こえます」
<10分で着いて。急ぎなの>
<ちょ! エリナさん!>
「よ、余裕ですよ。ゼエゼエ」
<ところでレンタカーって・・・>
「車を借りれる所です。免許は持って来ました。ハアハア・・・“Rent a car”を続けて言うとレンタカーになります。一応、高校は出てます」
<パーフェクト! 頑張ってね>
「了解」
こんな時につまんない質問しないでほしい。
もう足が重くなってきた。
歳か?
<細田くん、彼、イイ感じ>
<は、はぁ>
言ってろ!
バカなのは認めるが、これで体力もないんじゃ使い物にならないって思われる。
絶対に間に合うからな!
うぉぉぉぉぉぉ。
・・・
きっかり10分。
レンタカー屋についた。
ひっきりなしに車が通る環状線に沿って、大きな看板が立ってるわけでもなくひっそり営業しているような支店だ。
でっぷりして、健康的に日焼けした男が店の外に出ていた。
「早かったな」
「ハアハア、ゼエゼエ・・・お、大山さんをお願いします。た、た・・・」
「タカギさんだろ」
「フーフー、そうです」
「こっち来な」
カウンターとパイプ椅子が3つしかない狭い店の中へ通された。
店と言うよりも、駐車場の隅にプレハブ小屋が立っているようなところで、レンタカーを貸してくれるところはどこもこんなもんだ。
「目が回ってるうちはキーは渡せない、いいか?」
「は、はい」
走ってきたせいで、確かに目が回っていた。
世界がぐるぐる回るようなレベルじゃないが、ふらつくような感覚がある。
「運転ってのはな、現状認知・状況分析と判断・行動で成り立ってる。今のお前さんじゃどれもがおろそかになるから、今はスペックだけ頭に入れろ」
「スペック?」
「性能だよ。渡す車は普通自動車で小型。トランスミッション以外はノーマルだ」
「はい」
「トランスミッションってのはギアな。ただのオートマチック車に見えるが、切り替えなしのスポーツモードにしてある。ステアの裏にレバーが付いてるパドルシフトってやつだ。左がシフトアップ、右がシフトダウン。ここまでいいか?」
「フーフー、あの、ステアというのは・・・」
「ステアリング。ハンドルのことだ。1速はクリープで前に出るだけ。AT車のクリープ現象は分かるな? ドライブに入れてブレーキを離すと自然に前に出るアレな」
「わかります」
「2速は引っ張っていい。4000回転くらいまで吹かせばすっ飛んでく。あとはうるさくない程度にギアを上げてけ。減速する時はブレーキだけ踏んでれば自動で最適なシフトに下がってく」
ただのオートマ車って言う割にはむずかしいぞ・・・。
「あ、あの」
「?」
「マニュアル車も乗れます」
「肝心な時にエンストこいたらどうすんだよ。レーサーでもない限り、この業界のプロはAT車に乗るもんだ」
この業界っていうのが分からなくて、ずっと悩んでるんだが。
まいったな。
「落ち着いてきたようだ。これがキーな。さ、行った行った」
「あ、はい」
自分の車を持てない俺は、これまでに何度かレンタカーを借りたことがある。
たいていは車のキーに安っぽいキーホルダーが付いてて、そこには車のナンバープレートと同じものが書いてある。
だが、これは・・・。
「いいだろ? くじらのストラップだ」
ニヤリと笑う大山さん。
ふわふわしたぬいぐるみのくじらがぶら下がっている。
小さいものなので邪魔にはならないが・・・。
まあ、説明を聞いている時点でただのレンタカーじゃないのは分かっていたからいいか。
「それじゃあ、お借りします・・・あ!」
「どうした?」
まずい。
一応はレンタカーだ。
汗だくの自分に気がついて、このままシートに座るのは気が引けると言うと、大山さんは眉を釣り上げた。
「汗くらいなんだ。しょんべん垂れようが、血まみれだろうが、オレの整備した車に乗って帰って来い。車輪が付いてる限りどんな状態でも完璧に整備してやる」
「ハハ、ありがとうございます。書類は書かないでいいんですか?」
レンタカーを借りる時には、やれ保険だの、いつまでに返すだの、借りる際に車体のどこに傷が付いていただのが明記された書類を書くのが普通だ。
このままキーを持って車に乗り込んでいいわけがない。
「サインもいらんよ」
「え?」
「ほれ・・・」
大山さんがポケットから出したもの。
俺も持ってるPDAもどきのデータパッドだった。
彼のはクリアブルーだが。
「オレも身内だよ・・・ま、より優雅にエージェントって呼ばれてるがな」
大山さんは茶目っ気たっぷりにサムアップした。
(13)に続く
2011/05/03 初版
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