「おい、かすみ」
「うん?」
「もうすぐ中学生だな。あの武蔵ヶ丘中学校って一年生はどこかの部活に所属しないといけないらしいじゃないか」
家に帰り、食卓につくなり父親がかすみに声をかけてくる。
洋風のリビングにはテーブルと椅子が並べられていた。
市役所に勤めている父は、かすみから見ても良いマイホームパパで、晩御飯は必ず家族そろって食べようなどという人だった。
半数以上の子供が一人で夕食を食べるという今では珍しいかもしれない。
小学校から中学校へ。
見知らぬ友達や初めての先輩後輩という関係、ぐっと難しくなる勉強、どれもが初めての体験になり、不安をかき立てるものだが、家でもっとも不安になっているのはかすみではなく父親だった。
娘が学校に馴染めるか心配なのだ。
一人娘ということもあり、可愛がられていることはかすみにも良く分かるのだが、それでも時々鬱陶しく感じてしまうときがある。
“これって反抗期なのかな?”
自分でそんなふうに冷静に感じているのに、ついつい冷たい態度をとってしまう。
「・・・まぁ、絶対ってわけじゃないらしいけど」
「どこの部活に入るのかはもう決めたのか?」
「・・・演劇部に入ろうかなって」
そう言いながら、かすみはテレビのスイッチを入れる。
特に見たい番組はなかったが、これ以上質問攻めにされるのは嫌だったので、適当にチャンネルを選んだ。
ミュージシャンとタレントとのトークを売り物にした歌番組がやっていた。
「演劇って・・・お前そんなもんに興味あったのか?」
「・・・」
「演劇なぁ」
「・・・」
「なんで演劇なんだ?」
「なんとなくよ」
父親はぶつぶつと繰り返している。
「なんとなくって、そんないい加減じゃいかんだろ、そりゃ」
「もう、お父さんいいじゃない私がどこの部に入ったって!」
思わず強く言ってしまったことに、少し後悔しながらも視線はテレビに向けたまま父とは目を合わさずにいた。
リビングに気まずい雰囲気が流れる。
「・・・母さん、お茶」
娘に強く言われると困ってしまう父親だった。
困るとお茶を要求するクセは、娘が小学校一年生になって以来の慣習である。
「お前あれか? 『何とか娘。』みたいのに憧れているのか?」
「はぁ?」
「ほら、あのウォウウォウ♪ って歌のアレだよ」
「演劇と芸能界は違うよ」
そんな様子を台所で料理をしながら聞いていた母は、晩御飯のおかずをテーブルに並べながら言った。
「まぁまぁ、お父さん。いいじゃありませんか演劇部で。かすみは私に似て美人だから主役が出来るようになるんじゃないかしら」
母親はニコニコ笑いながらそう言うとテーブルに座った。
「別にそんなんじゃないの。ただなんとなくね。主役になれなくてもいいんだし」
かすみもテレビの音量を少し絞ってから、席に座った。
「なんだ、なんだ。そうするとやっぱりあれか、何とか娘か?」
父は納得いかなそうな顔で、ご飯を食べはじめる。
「演劇部って言えば、早瀬さんのお母さんに聞いたんだけど、何でもすごいカッコイイ人がいるらしいじゃない。もう、ジャニーズばりだって言ってたわよ」
母は、ご飯をよそいながら楽しそうに言った。
「何ぃぃぃぃ!? ジャニーズだぁ? まだ中学生なのに!」
「そうらしいですよ。今は10代前半でデビューする子はザラですよ」
「お父さんはそういうのは反対だぞ、ジャニーズだなんて。ジャニーズだってたいへんなんだ」
「かすみが入ることはありえませんよ」
「そうか。・・・だいたい、ジャニーズって何だ?」
「アイドルグループですよ、お父さん。私だってあと十歳若かったらぁ、うふふ」
「もう、お父さんもお母さんも、勝手に盛り上がらないでよね」
かすみをよそに両親は妙に盛り上がっていた。
父親など、口いっぱいに放り込んだおかずを盛大に吹き飛ばしながら興奮気味だ。
「なんだなんだ母さんまで。十年若かったらって、十年若かったら単に十年前の母さんじゃないか。えーと、かすみは2歳だし、私はもう少し腹がひっこんでたよ。ほれ、お茶はどうした、お茶は」
「はいはい。今煎れてますよ。あらグレイが出てるわ。最近、歌番組が少ないからなかなか聞けないのよねぇ」
「ぐ、グレイっ!? UFOスペシャルか!? 矢追せんせーの特番か? お父さんはそういうのは好きだぞ♪」
「お父さん、グレイ違いですよ。ウンモ星人と一緒にしないで下さいな」
「なんてことを言うんだ百合子! いや母さん! ウンモ星人ってやつは、円盤の下に「王」みたいな字が書いてあるヤツだよ。王子製紙の看板がよく似てるんだこれが、はっはっは。いやいや、そうじゃない、グレイはどちらかというとイーバ星人と言ってほしい。小さければリトルグレイ、鼻が大きければラージノーズグレイ・・・」
少年のように瞳を輝かせた父親が、なぜバンドが音楽を演奏するだけで、異様に深刻な声のナレーションが流れないのか、いぶかしみながらも解説を披露した。
もちろん、誰も聞いていなかった。
それにしても、父親も母親もすっかり話が脱線していた。
こうなるのはいつものことだが、かすみは少し疲れを感じた。
「・・・」
──────まったく、“なんとなく”で部活選んでもいいじゃない。
かすみは急いでおかずと御飯を流し込むと、お風呂へと向かった。
「ごちそうさま。先にお風呂入るね」
そそくさとリビングを出ていく娘を見て、なんとなく顔を合わせる両親だった。
「反抗期ってわけでもないよな?」
「お父さんったら心配しすぎなんですよ。かすみのやりたいようにさせてあげましょうよ」
「・・・ああ」
「どうかしたんですか? 少しヘンですよ、お父さん。ただの部活動なのにあんなにしつこく聞くなんて」
「かすみの目がね・・・。決意しようとして迷っているような、そんな色が見えた気がしたんだ」
珍しく黙って考え込む表情の夫を見て、そっとお茶を入れてリビングを離れた百合子であった。
かすみが生まれる何年も前からのことだった。
真剣に考え始めると身体を背もたれにあずけて腕組みをするのだ。
じっと宙を見つめ、口元を引き締める。
そして、独り言を言い出すのも常だった。
「それが夢だというなら、どんなに遠いところにある夢でも最初の一歩を踏み出すんだ。とても勇気のいる一歩だが、がんばって踏み出すんだ・・・。必ず辿り着けるから。そうとも、必ず叶う。動機なんて“なんとなく”でかまわない・・・」
──────人は夢に向かってなら何万光年という距離を飛び越せる。
(4)に続く
2011/11/08 初版
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