僕が、配達の手伝いを半分ほどこなした頃、商店街をかなり慣れた自転車さばきで走っていると、突然、魚屋さんの前で呼び止められた。
「やっと見つけたよ、中瀬ちゃ〜ん。ちょっとちょっと停まってよ」
振り返ってみると、そこには魚八の若旦那が、巨大な鯛を持って、立っていた。
「あ、どうしたんですか、魚八さん?」
「どうしたもこうしたもないだろう、中瀬ちゃ〜ん。聞いたよ、美和子ちゃんの誕生日パーティーやるんだって。さっき、ボンバイエの爆発頭が、ティーセット担いで走り回ってやがったから、何だと思ったら、この話だよ。おいらは美和子ちゃんのファンなんだから、仕事ほっぽらかしてでも参加しちゃうからね」
くだらないダジャレが出てこないところをみると、どうやら本気らしい。
「大旦那に怒られちゃいますよ、いいんですか」
「おいおいおいおい、おいらはこれでもムサ中演劇部の先輩よー。後輩のために何もしないとあっちゃ、親父にぶっ飛ばされちまうよ。だから、いーんだよ。船盛りの山盛り持ってくかんね。うっしっしっしっ、こいつはめでたい」
それから後は、何かというと声をかけられて、自転車をこぐ暇もないほどだった。
ペダルを漕ごうとするとすぐに声がかかる。
「おめでとうって言っておいてよね」は当たり前、夜にはプレゼントを持って行くから、ちゃんと家にいるように言ってくれ、なんていう人もいた。
肉屋さんの『マッスルミート』を横切るときにも、風呂敷包みを持ったおじさんに停められた。
「揚げたてのコロッケ持っていきなよ。100個ばかり包んでおいたから。ほら、ウチの娘もムサ中の卒業生だろ。何だか、他人事とは思えなくてね。おじさんも美和子ちゃんのファンなんだよ」
半分になったはずの荷台の重量が、元に戻ってしまった。
それにしてもいい匂いが漂ってきて、お腹が空いてきてしまう。
アーケードの入り口寄りにあるラーメン屋『来々亭』でも、満面の笑みをたたえた主人に呼び止められた。
「いやぁ、聞いたよ。美和子ちゃんってクリスマスの生まれだってね。知らなかったよー。ラーメン届けようか?えっ、いらない。うーん残念だよ・・・。そうだ、特製チャーシュー持っていきなよ。うん、それが良い、けっこ−美味いから。ああ、そうだそうだ、パーティーは沢山の食器が必要になるからお皿を貸してあげよう。荷台に積んであげるよ」
「どうもありがとうございます。甘いものがご入り用の時はKOMUGIをどうぞよろしく〜」
──────う・・・。
せっかく、配達してケーキが少し減ったのに今度はさらに重くなってしまった。
それにしても、ちょっと配達が板に付いてきたような気がするな。
商店街の中央通りにある酒屋『清水酒店』でも声がかかった。
「おー、中瀬君。何かすごいパーティーするんだって? さっき藤宮君が来たんだよ。ウチの娘も参加させてもらうんだってはしゃいでたんだ、よろしく頼むね。ところで何のパーティーなの?」
「藤倉美和子さんの誕生パーティーです。彼女、今日が誕生日なんですよ」
「えっ、誕生日パーティーなんだ・・・。あっちゃあ、お酒持ってかしちゃったよ。藤宮君が「とっておき」を頼む、なんて言うから、ずっと寝かしておいた価値物を出しちゃった。まぁ、校長先生も参加だっていってたし、いいか」
──────まさか、校長先生も参加することになろうとは・・・。
徳川校長は、完全管理と没個性を嫌う革新派の教育理念で、教育界から賛否両論の的になる人物だが、リベラルな雰囲気を好む方だ。
部室で騒ぐのを、口うるさい教頭先生(校長もちょっと苦手にしているらしい)がよく思うはずもないし、おまけに酒盛りまでしたら、彼の教育者生命にも陰りが出てくるのでは・・・。
それでも、生徒の自主性を尊重するあたりに、徳川校長先生の魅力があるのはたしかなので、これは深く考えないことにしよう。
武蔵ヶ丘商店街でのケーキ配達を様々な人に声をかけられながらも、なんとか10時半過ぎまでに終わらせた僕は、今度は武蔵ヶ丘第六小学校の前にいた。
ここに来たのは、藤倉さんの弟である満君と、妹である由美子ちゃんにも、今回のパーティーに参加してもらうためである。
しかし、よく考えてみれば(また、よく考えてみれば、だ。どうも昨日からの僕は勢いで行動をしているフシがあるな)、藤倉さんの弟や妹と直接の面識がない僕には、どうしようもないように思えた。
昨夜の藤倉家での葛藤と同じように、校門の前をウロウロしていると、少し、強い口調で声をかけられた。
「ちょっと、あんた何してるの」
びっくりして、思わず飛びのいてしまったが、そこには赤いランドセルが不釣合な、たぶん最高学年だと思われる少女が立っていた。
「校門の前でうろうろしてるなんて、アブナイ系な人?」
僕はそんな彼女の視線にひるみながらも、彼女に協力を求めた。
「・・・ふーん。藤倉君のこと探してるんだ。いいよ、知ってるから」
僕の話を聞いた彼女は、思ったより素直に協力を申し出てくれた。
「あれーっ、ミキ、なにしてんのー?」
「あっ、丁度いいところに来たねーっ。ちょっとさー、5年の藤倉君呼んで欲しーんだって。紅葉、行って来てよーっ」
後から来たのは、紅葉と呼ばれた、少し髪の毛の色が赤っぽい少女だ。
少し、頬をふくらませるようにして近づいてきた。
「マジっすかーっ! ウチをパシリに使うなんて」
「まぁまぁ、何か面白い集会があるみたいなんだ」
──────パシリ・・・。集会・・・。
もしかして、僕はとんでもない連中に協力を頼んでしまったのではないだろうか。
そうは思ったが、僕はニコニコしながら紅葉と言われた少女に話しかけた。
「今すぐじゃなくてもいいんだ。お昼過ぎくらいからちょっと、まぁ、クリスマスも含めてなんだけど、お誕生日パーティーが行われるから来て欲しいんだよ。藤倉君のお姉さんの」
「へー、満くんにお姉ちゃんいたんだ」
と、紅葉。
「それで、そのパーティーに連れてけばいいんでしょ。もちろん、私達も行っていいんだよね?」
「へっ?」
キョトンとしている僕に、ミキはたたみかけるように言う。
「だって、案内が必要でしょ。それに中学生ばっかりの中じゃ、藤倉兄妹がカワイソウじゃん。つーわけで参加ねー」
「まぁいいけど、ちゃんと2人は連れてきてね」
う〜む、やはり人選を間違えたような気が・・・。
声をかけられたんだから、人選も何もあったものではないのだが。
「まかしときーっ、紅葉も行くでしょ」
「・・・行くってムサ中? 私はちょっと・・・」
僕は言い争いをしている2人に多少の不安を覚えながらも、改めてお願いをして『KOMUGI』の事務所へと戻ることにした。
「お父さん、配達終了です」
僕がそう言いながら事務所に入っていくと、厨房の方から、藤倉さんのお父さんの返事が返ってくる。
「だから、お義父さんって呼ぶなってーの。でも、まぁ、ご苦労さん。こんなに早く終わったのは初めてだなぁ」
そう言って、厨房から、出てきたお父さんは、満足そうな表情を浮かべると、僕に向ってピシッと親指を立ててみせた。
「完成したんですね、バースデー・ケーキ」
「・・・あぁ。あとは本当に最後の仕上げだけだよ。チョコ・プレートに書くんだ。“ハッピー・バースデー美和子”ってね」
実に嬉しそうな顔をしている。
僕が、うなずきかけた時、店の前でスクーターが止まった。
どうやら、町外への配達をしてくれていた、アルバイトの石塚さんも無事に配り終えたみたいだった。
「おやっさん、ただ今、戻りました」
そう言いながら入ってくると、僕に向ってVサインをしてみせる。
「よし、待ってたよ、石塚君。最後の仕上げを手伝って欲しいんだ」
「もちろんですよ、おやっさん。お嬢さんのためですもん。気合い入れていきまっせー」
石塚さんも、意気揚々と腕まくりをした。
なんだか、安心した。
これで、きっとケーキは完成する。
そう思うと力が抜けそうになる。
その時、電話が鳴り、応対に出た石塚さんの表情が驚愕のそれへと変わった。
「・・・え、今からですか!?」
「変わってくれ、石塚君」
「しかし、おやっさん」
「いいから」
藤倉さんのお父さんは、石塚さんから受話器を受けとると、電話に出た。
まったく表情を変えないで、業務上の態度を崩さない。
「なるほど、分かりました。30分ほどお時間をいただきますがよろしいですか。・・・ハイ・・・ハイ。かしこまりました」
静かに受話器が置かれた。
「おやっさん、今からなんて・・・」
そう言いかけた石塚さんを制すように、彼はニッコリと笑った。
藤倉さんのお父さんはこれまでよりも優しい口調で言った。
「美和子も、他の子もどっちも大切な私の子供なんだよ。もうパウンドがないのなら、断ることも仕方がない。だけどね、石塚君、そして中瀬君。誕生日にしろ、クリスマスにしろ、子供にとってケーキがどれほど大切なものなのか。それを考えるとね、私には計りにかけることができないんだ。たしかに、美和子には申し訳ないばかりさ。授業参観にも、運動会にも出てやれない父親だからね」
「おやっさん・・・」
「でも、今回は、美和子だってケーキを待っている大切なお客さんだ。なにより大事な私の娘だ。間に合わせてみせる。父親としてはそれほど立派な私じゃないが、届けると言って届かなかったケーキは、これまでないんだ。必ず私のケーキを食べておいしいって言ってもらうぞ。なんて幸せなんだ、と顔をほころばせてもらうぞ」
力強い言葉に、僕と石塚さんは思わず身を乗り出して聞き入っていた。
「・・・おやっさん。もう、手伝いまんがな。どこまででも届けるッス。なんだって手伝うッスよ。何でも言って下さいっ」
感激屋さんなのか、石塚さんは顔を涙でぐしゃぐしゃにして、おやっさんの両手をとった。
なんだか嬉しそうだった。
「完成したら言って下さい、俺が届けますんで。おやっさんと石塚さんはバースデー・ケーキの仕上げに集中して下さい。店番は僕が引き受けます」
僕の言葉に2人がうなずく。
「よっしゃーっ、もう、ふたがんばりじゃー!」
こうして、藤倉さんのための特製バースデー・ケーキは完成した。
間に合ったのだ。
僕にとっては、初めてのアルバイトとなったのだが、なんだか人のために働くってことがすごく嬉しい事に思えた。
「なぁ、中瀬くん」
「なんです、おやっさん?」
気が付くと、藤倉さんのお父さんが、エプロンで手を拭きながら、僕に話しかけてきた。
「その、何だな。もし、アルバイトとかやるならさ。まぁ、高校へ上がった後になるんだろうけど、その時も武蔵ヶ丘に住んでいるのなら、いつでも雇うからさ」
「はい・・・」
「たった一日だったけど、ご苦労さん。美和子とさ、仲良くしてやってくれな」
彼は照れくさそうに、そっぽ向きながら僕に言った。
「はい、お父さん」
「それは10年早いって。ははは、許せるのは、まだ“おやっさん”までだな」
そう言って笑う藤倉さんのお父さんを見ながら、僕は初めて未来に思いを寄せた。
ついに21世紀が始まった。
遠い未来だと思っていた時代が来た。
10年後の僕はどうしてるだろうか?
こうした素晴らしい人達に囲まれていることができるんだろうか?
誰かを好きになったりしているんだろうか・・・。
(9)に続く
2011/02/27 初版
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