まったくスピードを落とさずに、校門を通過した中瀬は、藤倉を抱えたまま校内を走り抜けて、ついに演劇部の部室の前で彼女を降ろした。
部室は静まり返っており、まるで、大がかりな準備などなかったかのように、いつもの様子で2人を迎えた。
「無理矢理連れて来ちゃって、本当にごめん。僕の・・・いや僕達の伝えたいことは全部、このドアの向こうにあるから」
「僕達・・・?」
中瀬に促されて、藤倉はゆっくりドアに手をかけた。
“あ、来たよ”
“バカ、まだだよ。完全にドアが開いてからにしろって”
“藤倉さん、入ってきたゾ”
“よし、ライト点けろっ”
“せーのっ”
『お誕生日、おめでとーっ!!』
一斉にライトが照らされ、50個ものクラッカーが打ち鳴らされた。続けざまにシャンメリーの栓が吹き飛んで部屋中を飛び回り、無数の炸裂音と共に歓声が上がる。
70を超える笑顔に迎えられた藤倉は、一瞬、何が起きたのかわからずに呆然とする。
「・・・もう、びっくりさせないで・・・」
ついさっきまで、普段と変わらない、なんでもない一日だったのに。
今では演劇部の仲間だけでなく、こんなにたくさんの人に囲まれて祝福されている。
優しく包み込んでくる、人々のぬくもりが心地よかった。
これだけの準備をするのに、どれだけ大変だったのか。
それは、いつも演劇部の裏方をこなしている藤倉にはよく分かっていた。
私がつまらない一日だと思っていた時に、これほど私のことを想っていてくれていた人達がいたなんて、自分はなんという幸せ者なのだろう。
「みんな、ありがとう」
藤倉の声は、さらなる歓声にかき消され、彼女自身はあっと言う間に仲間に囲まれてもみくちゃにされた。
皆、彼女に近づいてはお祝いの言葉を投げかける。
そして、誰からともなく始められたバースデー・ソングは、全員での大合唱になった。
皆に後押しされて、大きなケーキの前に来ると、父親が書いた「ハッピー・バースデー美和子」の文字が、チョコ・プレートに輝いていた。
ヒロインが、特製バースデー・ケーキに立てられているキャンドルの炎を消すとき、大粒の涙が、彼女の頬を伝った。
部室の隅で、中瀬はその幸せな光景を、涙が流れないように堪えながら見ていた。
藤倉の嬉し涙に、もらい泣きしそうで仕方がなかったのである。
そこに城沢がやってきて、中瀬の肩に手を置いた。
「よくやったね」
中瀬が感激に耐えられるのはそこまでだった。
「おいおい、お前が泣いてどーすんだよ」
顔中、涙で溢れ返っている中瀬が振り向くと、そこにはコロッケをくわえながら、目を潤ませている藤宮が立っていた。
「せ、先輩だって、ちょっと感激してるじゃないですかぁ」
「バ、バカヤロー、俺はアツアツのコロッケで口ん中ヤケドしちまったんだよ」
そう言いながら、藤宮は涙を拭った。
「2人ともこれを・・・」
城沢が、2人に紙ナプキンを渡して、パーティーの輪の中に戻って行った。
自分でも、紙ナプキンで目頭を押さえていた。
「やって、良かったッスね、先輩っ」
「おうよ、あったりめーよ。聖夜ってのはな、皆が幸せになんなきゃいけねー日なんだ・・・ちくしょう、コロッケの野郎。鼻水まで出てきやがったぜ」
なぜか、紙ナプキンで目元を拭いながら、猛然とコロッケを口に放り込んでいく中瀬と藤宮であった。
「ほら、2人とも涙を拭いて」
そんな2人のもとへ、お皿にケーキを載せた藤倉がやってきた。
「はい、どうぞ」
2人にケーキを渡しに来た藤倉に、
「こんな時にまで、気を遣うことないのに・・・」
と中瀬は、穏やかな表情の彼女を見ながら言った。
「ううん、本気で感謝してるんだから」
藤宮は、2人のやりとりを見ながら、そっとその場を離れた。
さりげなさを装いつつも、宿敵である風紀委員長の姿を見つけると、すかさず舌戦を仕掛ける。
「こら〜、篠崎! それはオレ様のキープしておいたチキンだぞ。手を出すんじゃなーい。つーか、そもそも、お前の分はないんじゃ〜」
「きぃぃぃ、何ですって!!」
言い合いながらも人々の輪の中に入っていく藤宮を見て、中瀬と藤倉は顔を見合わせて笑い合った。
「もう、藤宮先輩ったら、あいかわらずなんだから」
「そうだね、一番はしゃいでるし。でも、楽しそうだ。みんなも楽しそうだよ。藤倉さんは楽しい?」
藤倉が頷くのを見て、中瀬は心底、嬉しくなった。
「僕達は演劇部員だろ。演劇っていうのは、様々なドラマに彩られた人物を演じることができるわけだけどさ。・・・でも、たまには自分自身の人生が彩られることがあってもいいんじゃないかな」
「・・・キザなセリフだね、それ。でも、ありがとう、嬉しいよ」
中瀬がいつものように頭をかいた。
女の子に面と向かってお礼を言われるなんて初めてだったのだ。
「あのね、中瀬君。私、冬ってあんまり好きじゃなかったんだ。特にクリスマスは大嫌い」
「藤倉さん・・・」
「いつの頃からかな、そんな風に思うようになったのは。・・・たぶん、サンタクロースが来てくれないことを知った時から・・・」
中瀬はおどけた調子で歩き、背負い袋を担ぎ上げる仕草をした。
「それじゃ、今年からきっとクリスマス・イヴが待ち遠しくなるじゃろう。な〜に、心配せんでええ。来年もきっと楽しくなる。サンタのわしが言ってるんじゃから間違いない。ほれ、主賓がこんな隅っこにおったらイカン。皆の輪に戻りなされ」
藤倉の背を押しながら、中瀬は思った。
本当は、もっと話していたい、と。
でも、ヒロインを舞台に押し上げるのが裏方の役割でもあるのだ、と自分を言い聞かせる。
藤倉が歩み出しながら小さな声で言った。
「中瀬君がサンタクロースなんだ。それもずいぶんキザだよ。・・・でも、サンタさん、来年も来て欲しいな」
また、一筋の涙が彼女の頬を伝い落ちた。
そして、振り向くとかすかに微笑んだ。
──────この笑顔が見たくて、僕はここまでやってこれた。
それは、ささやかな微笑みであったが、中瀬がこれまで見た中で、とびっきりの笑顔だった。
「トキめいてるじゃん! 〜冬の特別編〜」終わり
2011/03/10 初版
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