こうなると、夜にドライブをしょっちゅうしている身としては、珍奇な原チャリ数台でコンビニにたむろしている連中が哀れに思えてくる。
季節が暑かろうが寒かろうが、快適な部屋にいる事もなく、外でう○こ座りしてギャーギャー騒いでいる輩はスマホすら持っていないのかもしれない。
誤解のないように言っておきたいのだが、明かりに集まる蛾のようなDQN共が哀れだと言っているだけで奴らが迷惑だと思うのは変わらないし、イジメる側にも理由があるだの環境がそうさせているだのという戯言に聞く耳を持ってもいない。
イジメた奴は必ず不幸になるだろう。
ロクでもない人生に転がり落ちた時、過去の贖罪をしようとしても遅い。
謝れるうちに死ぬ気で謝れとしか言えない。
それで許してくれるような人をイジメているに違いないのだから、社会に出てどんな目に遭っても諦めてむせび泣けと言いたい。
イジメられた経験のある人は深く抉られた心を、自分に合った方法で癒してもらいたいと切実に思う。
俺が手伝える事なら手伝いたい。
会社の先輩は学生時代の忌まわしい記憶に、数十年経った今でも苦しめられている。
汗びっしょりになって起きる日があると言っていて、彼の顔色が悪い日は、どんなに自分の仕事が忙しくても手伝ったり、昼食や飲みに付き合う事にしている。
単なる同情などではなく、俺にはそうする理由があり、贖罪でもある。
もっと身近な友達が苦しんでいるのに気付けなかったからだ。
少し話が逸れた。
学生の視野の狭さは若さという経験不足に加えて、“世界はそこだけ”という閉鎖性に起因すると思っている。
ネットの解放など、赤子をサバンナへ置き去りにするようなものだ。
未成年として守られている者をサイバースペースという広大かつ危険な世界に放り出すのはいかがなものだろう。
もっともデジタル音痴では社会でほぼ役に立たないだろうから、学校側にしてみれば苦渋の選択かもしれないが…。
(12)に続く
2018/03/20 初版
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