どんなに風光明媚な場所であっても、人里を離れたら油断はできない。
観光気分でいるととんでもない事になる。
それが自然界であり、決して人間が食物連鎖の頂点にいるわけではない事を証明していた。
ユクモ村が近くなったところで、その絶対的な掟は変わらない。
それでもディックスが堂々と昼寝を出来ているのにはワケがあった。
山道から少しだけ外れ、崖に背を預けてごろりと横になっていると、ゴソゴソ、ニャーニャー聞こえてくる。
すぐ近くの崖の上で、アイルー達が忙しそうにタケノコやキノコを採っていたのだ。
大きく張り出した岩には、ヘタクソなネコの顔がペンキでマーキングされている。
ここはアイルーの採集場だった。
ピッケルを持っているアイルーがうろうろしていないので、今日は採掘をしないようだ。
それなら騒音もなく、眠れるだろうと踏んだのだった。
時折、名産品でも見つけたのか「ニャー♪」と嬉しげな鳴き声は聞こえてきたが・・・。
人里が近くなると、ハンターにくっついて歩くお供アイルーを始め、村の様々な手伝いをしているアイルーもいれば、商売をしているしっかり者のアイルーも見られる。
噂だと、このあたりでは巨大なあひるもどき───ガーグァ───に荷車を引かせて冒険へ向かうアイルー達もいるらしい。
一方で、人と関わりを持たず、自分たちで集落を作っている土着のアイルーも多くいた。
彼らは人語をほとんど解さない野生アイルーだった。
男はテントも張らず、雨具を広げてビバークをするでもなく、そのまま寝転がっていた。
風砂防を上げ下げできる板金兜。
固い革を服のように着込むハードレザー・アーマーには胸と肩にだけ鉄板が貼り付けられている。
左肩の装甲板には火の国のエンブレムが刻み込まれていたが、すり減っていてほとんど見えない。
使い込んでいる事が一目で分かる。
腿と尻だけなめし革を織り込んだズボンは、一見すると普通の服にも見え、かなり軽装な印象を受けた。
もはやボロボロとしか形容しようがない半長靴は、スネの部分に鉄板が固定されており、膝にはかなり厚みがある膝当てが付いている。
これはゲリョスから採れる素材でコーティングしてあり、相当、重量のある鎧を着たまま、勢いよく膝をついても皿や腰を痛める事がない、衝撃吸収素材だった。
防御力重視でガチガチに鎧を着込んだフル装備では長旅は出来ない。
ベースキャンプや自宅がある状態なら、狩りに必要な装備だけを持って歩けるが、旅となれば話は別で、自分の背中よりも遙かに大きな背負い袋、大量の水、ビバーク(野宿)するための簡易テントなども持ち歩く事になる。
狩人というよりは、旅人という風体になるのも無理はなかった。
背負い袋の横で無造作に転がっているのは、これまた固い革をベースに、要所々々を鉄板で補強してあるガントレット。
その下には男の背丈ほどもある長大な剣が横たわっていた。
大きな剣には鞘というものがない。
剣の下側を支えるだけのレールに刃を乗せ、
それを幅広のベルトで袈裟懸けに背負うのだ。
その大剣はよほど使い込まれているのか、刃こぼれだらけでボロボロだった。
その剣をしげしげと見つめる小さな陰が近づいていった。
真っ黒で柔らかな毛に覆われており、顔の中央と手足の先だけが白い。
両足で立って、ひどく猫背。
手を顎に当てて、ふむ〜とか唸っている姿は、ネコ好きにはたまらないだろう。
アイルーだった。
このあたりをうろついているアイルーと決定的に違うのは毛並みで、たいていは灰色っぽい体毛に覆われているのだが、このアイルーは黒い毛が多く、いたずらっ子気質のメラルーと呼ばれる亜種属に酷似した色合いだ。
「触っても怒られないかニャ」
つぶやきながらもアイルーは、すでに刀身を触っていた。
子供の手の平ほどしかない肉球のあとがぺたぺたと付いていく。
使い込まれ、ガタガタに見える大剣は、錆一つなく、刀身は鏡のようにピカピカしていた。
自分の顔が映りそうなくらいに磨かれている刀身というのは、普通なら太刀くらいであり、大剣で見たのは初めてだったらしい。
メラルーなら盗みかねない興味の示しようだ。
「よくこんなに重そうな剣を振れるニャア・・・」
「全身を使って放り投げる感じで扱うんだ。俺より重いんだから振れるもんじゃない」
スゴイニャ! スゴイニャ! としきりに感心していたアイルーが驚いて飛び上がった。
「起きてたニャ!?」
ディックスがむくりと上半身を起こす。
アイルーは両手を前に出して、懸命に否定した。
「盗まニャイよ、本当ニャ! 本当ニャ!」
ただでも小さい身体を、さらに小さくしてアイルーは腰までおじぎした。
「勝手に触ってごめんニャさい」
男は砂漠焼けしていて、肌が真っ黒だ。
おまけに顔には額から頬までの傷跡があって、かなり恐ろしい印象を受ける。
ポッケ村でも仕事をこなして、腕利きのハンターだと分かってからでさえ、無心な子供以外はあまり話しかけられなかったほどだ。
「・・・」
男が黙っていると、ついにアイルーは震えだした。
じっと目を見ていたディックスが口を開く。
「なんで潜らないんだ? そんなに怖がっているのに」
アイルーは危険を感じたり、登れないほどの段差があると、穴を掘って身を隠したり、移動したりする習性がある。
ディックスはそれを言っているのだ。
「ここで勢いよく穴を掘ったら、崖の石が落ちてきて旦那さんに当たるかもしれニャイから・・・」
泣きそうな顔をしながら、アイルーがつぶやいた。
ディックスが手を伸ばして、アイルーの頭をくしゃくしゃと撫でる。
口が回らないのか、“ダンニャサン”としか言えない小さなネコは、気持ちよさそうに目を閉じた。
「こいつはそんなに大事なもんじゃないから気にするな」
「ニャ?」
「フライパンみたいなもんだ。腹減ってるか?」
アイルーは何を言われているのか分からないといった表情で、大剣と男を交互に見て、目をパチクリしている。
ディックスは怖がられるのに慣れていた。
苦笑しながら、ベルトにズラっとぶら下げているヘヴィボウガン用の大型カートリッジを2つ外した。
思わずアイルーがビクっとする。
20センチはあろうかという薬莢だ。
この中に火薬がぎっしり詰まっていると考えれば、誰だって怖くなる。
だが、弾頭は付いていなかった。
剣の刀身に向かってカートリッジを傾けると、中身だけ流し込んでおいたであろう黄身と白身が広がった。
「卵ニャ?」
「ああ、鳥竜種の中でも毒や雪玉を腹にしまい込んでない、まともなトカゲの卵だ。うまいぞ」
ディックスは返事しながらも、大剣の柄を握り込む。
カチっと音がした。
またアイルーがビクっとする。
「撃ったり、斬ったりしないから安心しな」
「は、はいニャ・・・」
しばらくすると刀身が唸って、赤く発光する。
大剣は火属性を持っていた。
こうしてグリップを握り込んだり、何かに叩きつけると熱や炎をまとう業物だった。
あっという間に卵が焼けて、おいしそうな香りが立ち上ってくる。
「ほら、出来た。卵焼きだ。いや、2つあるから目玉焼きだな」
「美味しそうニャ♪」
「そこらに採掘場があるだろ? 岩塩が出るなら採ってきてくれ」
「はいニャ」
アイルーが4つ足になって走っていく。
急ぐときは四つんばいになってぴょんぴょん跳ねるのだ。
遠ざかる猫人族を見ながら、ディックスは目玉焼きを半分にしてぺろりとたいらげた。
・・・
「あれ?」
アイルーが戻ってくると、ディックスが片膝を立てて一服していた。
けむり玉の元になる葉っぱを紙巻きにしたもので「タバコっていうんだ」と男が説明した。
「ガンエンっていうのなかったのニャ」
「そっか」
「・・・」
「どうした?」
「もう食べちゃったのニャ?」
「ああ、さっき川を渡ったが、ミネラル分の少ない色をしていた。海も遠くて標高が高い。塩が取れる確率は低いと思ってた。あったら助かるが、なくても仕方ない」
「ごめんニャ」
アイルーが腰までおじぎした。
「いいよ。もう冷めたから食べな」
「フニャ?」
「猫舌だろ?」
アイルーが不思議そうな顔をした。
この男は何を言ってるんだろう?
そんな顔だ。
通常、アイルーは人間と食事を一緒にしない。
村で働くアイルーにしたって、提供するだけで、自分では飲み食いはしないものだ。
人間が食べるものを食べられない事はないが、人間はまず食べ物をくれない。
一方で、そこらへんにいくらでも食べるものがあるアイルーも気にしていない。
狩りのお供をするアイルー達も、狩人が戦闘中にこんがり焼けた肉にかぶりつく事が何度もあって、「すぐにおなかがすく種族なんニャよ」と語っていた。
目の前の男は、遠くを見ながらタバコを吹かしている。
くれるらしい。
「食べてもいいのニャ?」
アイルーはおそるおそる聞いてみた。
「お前、やせすぎだ。しっかり食べろ」
「・・・」
「気を遣いすぎなんだよ。民間人ならともかく、ハンターなんて轟竜のブン投げた岩が当たったところで死にはしないんだから」
「痛いニャよ?」
「そんぐらいで痛がってたら、俺は1000回以上、死んでる」
ディックスが目玉焼きをつまんで、アイルーの手に渡した。
しげしげと目玉焼きを見たあと、ネコはにっこりした。
「ありがとニャ♪」
(4)に続く
2012/12/04 初版
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